55歳からどこまで成長できるか!55(ゴーゴー)おやじブログ

中年(おやじ)でもどこまで自分の限界を上げることができるか、成長エンジンである心のリミッターをはずせ!の想いで
日々の活動や経験、感じることを記すブログです。

両親の上京

最中/monakaです。
12日から私の両親が家に来ています。嫁さんの見舞いのための短期間の上京です。幸せなことに私は両親とも健在で父は昭和7年、母は昭和12年生まれです。かなり高齢です。この歳でよく来てくれたと思います、母は元気なのですが父は最近肺がんをやっていて、その後暫くは調子が悪かったそうですので、なおさらそう思います。


でも思うのは長生きのリスクということです。当たり前のことですけれど長生きすれば、その分嬉しい、楽しいことも経験しますが、悲しいこと、辛いことも経験します。歳を取れば病気になる可能性が高まりますし、要介護になったり、認知症にもなったりして周囲に迷惑をかけることにもなります。なかなか自分で決められるものではありませんが、俗にいう「ぴんぴんころり」で長生きが理想ですね。


今回両親は嫁さんが白血病になったという悲しい事実を長生きでいることで知ることになりました。両親は生きていれば悲しいことも辛いことも経験することは当然分かっているとは言っていましたが、歳を取って辛い思いをさせてしまい申し訳ない気持ちはやはりありますね。


親について悪く言うのはよろしくないですが、特に父と話をしていると(父とはちょうど30年差があるのですが)、全然価値感が違うことに驚かされます。私が自己啓発書やビジネス書を読んでいることもありますが、これだけ時代が変わっても人生は良い大学に入り、名の通った会社に定年まで勤めて、年金を沢山もらうことが幸せであるとの考えでこり固まっています。結構な額の年金生活ができている今を幸せに感じているのでしょう。


自分の考えは当然生きてきた時代に左右されるので父と同年代の方々も同じような考えでしょう。問題だと思うのはそれを私に押し付けることです。もう少し時代は変わっている、息子と言えど生き方はそれぞれだからという気持ちが少ないのです。いわゆる「歳を取れば石頭になる」という言葉が瞬時に浮かびました。例えば今嫁さんの骨髄移植可能な病院に移る際にそれに合わせて引っ越しも検討中なのですが、その賃貸契約の際に必要な書類や嫁さんが転院する時に提出する書類に書く夫の勤め先についても名の通った会社だと不動産会社もすぐOKしてくれるし病院も安心するだとか、父に保証人になってもらう時も年金を結構もらっているから調べられてもすぐ審査に通るのだとか言う訳です。世の中そういう仕組みが厳然とあると言うのです。もちろん私は納得はするのですがここまで価値観が違うと話をする気持ちにもなりません、本音で話をする気が起きないのです。変に苦労しているというか、人生にロマンがないというか。


因みに父は家に来てからもNHKしか見ません、NHKを見ていれば安心とでもいうような感じがします。NHKばかり見ていると国の考えに洗脳されるよと言いたいですが言えませんね。人は生きてきた環境に沿った価値観を持つようになり、それを変えることは並大抵ではないという話でした。


人間万時塞翁が馬。





スピーチ力

最中/monakaです。
私は若い頃から人前で喋ることが苦手で、所謂あがり症でした(今もそうです)。大勢の人の前で喋ることは当然大の苦手で、そういう場面が来そうだと感じたら逃げてばかりいました。少人数の前でしゃべる、会議で発言するなどもどうしてもという場合の以外は避けていました。今考えるとあがってしまって赤面してしまい、うまく喋れなかった記憶ばかりが思い出されます。話すことを事前に考えて話し出すのですが、いつも喋れないまま終わってしまうのです。未だに自分のどういう体の反応がそうさせるのか分かりません。


この人前の改まった場で喋ることと、通常の会話とはかなり違うようで、私もそうですが、通常の会話では口達者な人でも、改まっての人前でのスピーチとなると苦手な人もかなりいるのではないかと思います。同じ話すことでも、この2つは脳的にかなり異なり、人前で喋ることは一種のスキルのような気がします(遺伝か何かわかりませんが、元来全くあがらない人も大勢いますが羨ましいです)。


もう年配の方で、箱田忠昭さんというスピーチの達人がいるのですが、達人というぐらいで内容も話し方も感動的なスピーチをされるそうです。しかしこの方も若い時はあがり症だったのを一念発起して克服し、達人の域にまでなったそうです。他のことでも言えると思いますが、あがり症ということで損ばかりしたり、辛いことが多いことで大いに悩み、苦しみ、何とかその苦手を克服していく過程で、あがり症でない人をもいつの間にか追い越して、達人にまでなった人の方が多いのかも知れません。


私も箱田さんと同じようにあがり症でとても困った訳ですが、それを克服する努力が足らなかったので、未だにあがり症のままです。この箱田さんの例は、苦手を克服することで、それが逆に自分の一番の得意技になり成功したケースですが、苦手なことは人に任せ自分の得意なことで成功する人もいます。箱田さんは苦手ではあったのですが、このスピーチ力の持つ大きな力を活かしたいと強く思ったことが、試行錯誤を何度も繰り返しながら克服できた大きな理由ではないかと感じています。


人間万事塞翁が馬


妻の白血病闘病日記 by monakaはこちら
https://chiruchino2901017.wixsite.com/monakawife/



嫁さんの一時退院

最中/monakaです。
白血病闘病中の嫁さんが今一時退院しています。化学療法(抗がん剤投与)やその副作用と闘いながら、薬漬け状態で大学病院の無菌室で長期入院しているのですが、治療スケジュールがありその治療と治療の間にリフレッシュと体を休める目的で1週間ほど一時退院が許可されます。もちろん家での一時退院中は感染に充分気を付けて、マスク着用、食事にも気を配ります。外出も極力避けます。また安静が基本です。


今度が2回目の一時退院なのですが、前回は気を付けていても何かに感染し、発熱しました。やはり無菌室とは全く違いますのである程度は仕方がないのですが、重篤な感染をしないよう家族全員で配慮しなければなりません。


しかし長期間無菌室で過ごしていて、一時退院すると今まで当たり前だと思っていたことが非常に新鮮に映るそうです。風を感じる、鳥や虫の声を聴く、草花の臭いなど元気なときは特に気にも留めていなかったことが五感で感じられるようだと言っています。当たり前で普通なことが幸せなんだと気付かせてくれていると思います。


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幸せとは何かは人それぞれですが、要するに人が幸せと感じれば、それが幸せなのです。自分の捉え方次第と思います。幸せの定義を世の中や他人の価値感によって左右されてしまい勝ちですが、無菌室のような閉ざされた中に居たからこそ改めて初めて感じる幸せもあるのだと気づくことができました。周囲や環境を変えることはできなくても、それをどう捉えるかで大袈裟に言えば人生も変わってくるのかも知れません。


人間万事塞翁が馬。